芸術系MEMO。読書したり観劇したり創作したり撮影したり哲学したり。ネットの辺境を漂いながら考察する無駄のかたまり。
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まんまるメーター2号
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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 読みたい本が無かったので家人に薦められたこの本を今更読んでみた。
・自分らしさを発揮できる環境はなにものにも替え難い→組織の活性化に繋がる ・アイデアにも熟成させる時間が必要だ。 一度考えたアイデアを土台にしてそこに新しい考えを各自が持ち寄って 再度練りなおす。(不遇の時代に)そういう作業が出来たのは意味のあることだ。 ・飛びぬけたスターは要らない。 ・放っておいてもガンガン新しいことをやっていくタイプもいれば なかなか新しいことを考えつかないタイプもいて 近道を探すのは上手ではないけれど、少しづつ前進していくタイプもいる。 組織と言うのは後者二つのタイプのような人が 伸びて行く環境でなければならない。 間違ってもそういう人がクサってやる気をなくすような事態は絶対に避けなければならない。 ・生物は、戦って戦って居場所を決めるのではなく、自らあるようにある。 それこそが自然なのだ。 そのように自分の居場所を決めるのだ。 空いた所ができたらそこに違う種が入っていく。 そういうようにして生態的地位(ニッチ)は形成される。 ・地球上に生きる生物の命はみな平等だ。 命に優劣は無い。命は等しくかけがえのないものなのである。 ・哺乳類は一般的に周りの関係性から自分を確立していく。 つまり他者がいなければ自分はわからないのだ。 同じ種の動物だけで生きていては「自分」というものがわからないのだ。 「人間とは何か」に関する答えも、他の動物を見て 「ああ、自分は人間なのだ」とわかり安心する。 また、人から学習したり経験して学ばなければ出来ないことが多い。 交尾の仕方、子育ての仕方も誰にも教わらずに行うことは出来ない。 チンパンジーもやはり人間と同じで本能ではなく学習を通して、 あるいは群れの中で様々なことを獲得していく。 ・野生動物は皆そうなのだが、淡々と死んでいくのだ。 あまり死ぬことを重大視していないかのように。 息を引き取る時の目を見ても悟った様な目をしている。 彼らは苦しくないかと言ったらけしてそんなんことは無い。 解剖してみると神経系などは人間とまったく同じだからだ。 だからメチャクチャ苦しいはずだ。だけど苦しいとは動物は言わない。 痛さも辛さも全部飲み込んでしまうのだ。 PR
家人の本棚から借りたこの本は実は殆ど読んでいない。
ストラテジー力 ・管理よりも方向付け ・未来予測よりも現在過去分析 ・目標よりも目的 ・新規事業よりも既存事業 ・売上高よりもシェア ・下請けよりも自立 ・弱肉強食よりも優勝劣負 ・オンリーワンよりもナンバーワン ・拡大志向だけよりも小さくなる能力 ・内部志向よりも外部志向 ・ES優先よりもCS優先 ・モチベーションアップよりも働き甲斐 マーケティング力 ・新規顧客開拓よりも既存のお客様 ・他社の真似よりも他者との違い ・価格で勝負よりもサービスで勝負 ・客観的一番よりも主観的一番 ・コンピューターよりもハート ・満足よりも感動 ・商品開発よりも認知努力 ・クレームゼロよりもクレーム発生 ヒューマンリソース・マネジメント力 ・新規事業よりも人材育成 ・スキルよりも価値観 ・和気あいあいよりも切磋琢磨 ・横並びよりもメジャラブル ・規制よりも自由 ・意識改革よりも小さな行動 ・意味よりも意識 ・報酬よりも誇りと信念 ・価値よりも幸せ 会計力 ・数字よりも信念 ・仕訳よりも読み方 ・利益よりもキャッシュフロー ・稼いで貯めるよりも稼いで使う ・負債よりも純資産 ・ROEよりもROA ・売上よりも利益 ・投資拡大よりも増し分 ・数字作成よりもお客様対応 ・会計・財務よりも戦略・マ-ケティング リーダシップと人間力 ・総花化よりも重点主義 ・気合いよりも具体化 ・恰好つけるよりも行動 ・話すよりも聞く ・甘さよりも厳しさ ・遊びよりも読書 ・難しい理屈よりも素直に思う ・肩書よりも人望 ・順境よりも逆境 ・自分よりも会社 ・現在よりも未来 ・金儲けよりも正しい人生 自己啓発の為に勉強本を読んでみましたが、 アメリカの少し古い作家だし、
時に説教臭くもあるギルマンの 爽やかで軽快でキラキラとした表現に満ちた物語を読んでいたら 未読だった彼女のエッセイを無性に読みたくなった。 こんな老婦人とお話出来たらどんなに刺激的だろうか。 つまり私は叱られたいのだ。 協調論でもなく偽善的でも感情的でもなく理性的に哲学的に。 ギルマンは真面目で誠実で聡明で 審判の日を信じなくなったとしてもその精神は息づいている。 私は仏教の哲学性や禅の精神性に心惹かれ キリスト教やイスラム教の有用性に憧れを抱いているのかもしれない。 砂漠で生きる者の目には水は鮮烈に映るのかもしれない。
ギルマンはこのエッセイを自分の事の本ではなく、 「発見」についての本だと語っている。 ギルマンの精緻な眼差しは今から30年以上前(ギルマン50代)のものなのだけれど、 彼女が立ち向かった数々の問題は今も私達を悩ませている。 以下に心惹かれたフレーズ(つまり説教)をいくつか抜粋しておきます。 このメモは、勿論自分自身のためのメモではあるのだけれど 誰かの「発見」のためにも役だっていたら嬉しい。 *************************** 思うに女性は昔から従順さ仕込まれてきたがゆえに、 いっそう疑り深くなっているのではないか。 生来直観的で、なんにせよ男性より控えめでいるように育てられているから、 言葉で言われなくても、なんにせよわたしたちは すべきこととすべきでないこと、 あるべき姿を教えるシグナルを目ざとく見つける。 幼い時から人を喜ばせる術を身につける。 魅力的であること、 期待通りに適切な表現をすることを学ぶ。 そして不正を受け入れる。 正直な自分で居るために、何よりも大切なのはまず自尊心だ。 それと自主性である。 自主性とは自分を治めること。他から干渉を受けず、自分の心に正直に。 自尊心が無いと簡単に魂が略奪された者になってしまう。 一緒に暮らしている者を通して生きるのだ。 自分自身を考えずに、自分の考えに基づいて行動せずに、 自分で冷酷な現実に立ち向かう判断を下さずに。 生きることはすなわち隠すこと、取り繕うこと、反応すること、 行動するのではなく、ただ適応することになってしまう。 おかしなことに、辞書によれば「空(から)」の定義に 『保有しているものや囲んでいるもののない状態』とある。 そして「自由」の定義には、 『縛られないこと、閉じ込められないこと、強制的に引き止められないこと』とあった。 この二つの言葉の違いはほんのわずかである。 人が毎日数分進む時計に慣れるように、心を少し整理すればいいのだ。 心は新しい言語を学ぶ。 時間というものは、本来わたし達の頭の中にしかないからだ。 その存在は信じたくて堪らない幻想と言っていい。 時計もカレンダーも人間が作ったものだ。 一日の時間を決めたのも人間なら、ひと月の週数を決め、一年を十二で割ったのも人間だ。 まったく見事で役立つ便利なものだが、 わたしたちが時間と呼ぶものは、人間が枠をつくる前からあったのだ。 時間は未だ解けていない謎なのである。 時間は永遠なものと人は考えるが、永遠は何かを知っている者はいない。 わたしたちは時間の中に生きているが、時間に触ることが出来ない。 わたしたちは時間を占有しているが、所有することは出来ない。 本当の神秘は わたしたちが時間を量的に経験しようと、質的に経験しようと、 時間はまったく変わらない。 変わるのはわたしたちだということだ。 色々な出来事で揺さぶられ、認識に到らされる。理解に到らされるのだ。 決まり切った手順、習慣、自己満足、そして偏った思考に揺さぶりをかけられるのだ。 ある意味では、時間に揺さぶりを掛けられて、 今を生きて行くこと、大きく目を開き、自覚することを認識させられるのかもしれない。 わたしたちはぼんやり時を過ごし、目を明日に向けているが わたしたちがいるのは今なのだ。 可能性に打ち震えているのは今なのだ。未来ではない。 未来はどこか別のところにあり、まだここに到着していないのだ。 わたしたちが真に躍動するのは、瞬間に入り込み、意識を全開にしてその瞬間を生きる時である。 プライバシーが欲しいというのは 人の付き合いや面倒なことに巻き込まれるのを避けるための格好の口実になっているのではないか。 プライバシーを極端な程尊重すれば、 わたしたちは人に優しくする無限の可能性を失ってしまうのではないか。 読書家であろうギルマンは沢山の本からその精神を引用をしている。 それぞれ彼女の解釈を説明してあるのだけれど その中でも気になった一文だけ書いておきます。 「死ぬということは、人生に最後に目を閉じることではない。あまりにも少ない次元の中で生きることを選ぶことである」~J・B・プリーストリー 「傷つきやすい、それが生きると言うことだ。 退却するのは死ぬことと同じことである」~クリシュナムルティ ナムコ・ナンジャタウンでモンハンのコラボイベントが開催されていたので久しぶりに池袋へ。 |