忍者ブログ

芸術系MEMO。読書したり観劇したり創作したり撮影したり哲学したり。ネットの辺境を漂いながら考察する無駄のかたまり。

2024 . 04
|
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • イイネ革命!
    世界の片隅で秋夢子さんを応援する活動

    素敵な歌声を聞こう♫
    ブログ内検索
    時々呟いてみたり
    東京の週刊天気予報
    まんまるメーター2号
    いろいろ
    にほんブログ村 演劇ブログ 劇団四季へ
    にほんブログ村

    ×

    [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

    自己啓発の為に勉強本を読んでみましたが、
    結局誰もが学生時代に経験した勉強法についてしか書かれていない。
    近道は出来ないということでしょうか?

    ・論理的に考え理解してから記憶しないと意味が無い
    ・記憶するのは4~5回の再学習が必要。
      1時間ごとの学習でモニタリングとコントロールを行う
    ・学習にはスケジューリングが必要


    記憶をクリアにする為に一応メモしておきます。



    学習とは 記憶と論理の両方が必要
     ・記憶 → 暗記、知識の詰込
     ・論理 → 言葉を使うこと

    より良い勉強法
     ・勉強を楽しめること → 理解することが第一条件
     ・論理力 (理論的に分析 意図を考える 予想する)
     ・科学的記憶術



    論理力
    ・他者に伝えるための筋道の立て方 
    ・言葉の一定規則に従った使い方 → 習熟する必要有
     ・イコールの関係 A=A´   (A´は具体例などの装飾)
     ・対立関係    Aの装飾   (Aを強調する)
     ・因果関係    A→だからB (Bへの結論づけ)

    論理パターン
     1.A →A´→A
     2.A´→A
     3.A →A´→A →B
     4.A´→A →B 

    論理力の習得の順番
     読む→話を聞く→話をする→文章を書く

    読み方
     1.目次で全体を俯瞰する
     2.小見出し →話題
     3.本文   →話題についての筆者の主張
     4.章全体の論理構成を考える



    脳は忘れるように出来ている →エビングハウスの忘却曲線
    1年間記憶を維持するためには、平均4~5回繰り返す必要がある
    脳内における記憶の分担
     前頭葉 → 検索エンジン
     海馬  → 一時保存
     側頭葉 → (ある程度)長期保存
    脳は目の動きに比例して回転する

    記憶の4段階
     1・ファミリア 
         漠然とした記憶 親近感       →すぐ忘れてしまう為×
     2.リコグニション
         自力で思い出せないが選択なら出来る →最初はこの記憶でもOK
     3.リコール
         自力で全て思い出せる →学習目標 英単語はこのレベルでOK
     4.オートマティック
         自然に出てくる    →習熟 公式や論理はこのレベル迄
    ※1回の学習ではリコール状態に留め、睡眠を挟み再学習する。
    (睡眠により干渉されず、またレム睡眠の脳活動により記憶が定着する)


    短期学習スケジューリング ※記憶は1時間単位で行う
     ・1日目 1時間で記憶する  (学習1回目)
          1時間後にテスト (モニタリング)(学習2回目)
          記憶出来ていないものについて再学習(コントロール)(学習3回目)
     ・2日目 前日のの復習(10分程度)(学習4回目)
          新たな記憶を1時間で学習
     (繰り返し)

     ・1週間後 1日目の復習(モニタリング・コントロール)(学習5回目)


    ビジネスで必要なスキル=コミュニケション能力=論理力

    拍手[0回]

    PR

    アメリカの少し古い作家だし、
    青少年向け文学にカテゴライズされるせいもあるのだろが
    ドロシー・ギルマンの認知度は日本では極めて低いと思う。
    学生時代に出会わなければ一生出会うことはないとさえ言い切れる。
    しかし描かれるその精神性は極めて高い。
    図書館の片隅におかれた古い本との出会いはなんて素敵なんだろう。

    ミセス・ポリファックスシリーズも読切シリーズもどちらとも好きなのだけれど
    今の時代受け入れ易いのは読切かもしれない。
    なにせミセス・ポリファックスシリーズは冷戦時代のスパイものだから。
    今回、本当に久しぶりに読んだのはこれ。
    映画「カサブランカ」後半のあの緊張感を思い出して読んでみたらより臨場感が味わえると思う。

    キャラバン 砂漠の愛 (集英社文庫)キャラバン 砂漠の愛 (集英社文庫)
    ドロシー・ギルマン 柳沢 由実子

    集英社 1996-07-19
    売り上げランキング : 358815

    Amazonで詳しく見る
    by G-Tools


    時に説教臭くもあるギルマンの
    爽やかで軽快でキラキラとした表現に満ちた物語を読んでいたら
    未読だった彼女のエッセイを無性に読みたくなった。
    こんな老婦人とお話出来たらどんなに刺激的だろうか。
    つまり私は叱られたいのだ。
    協調論でもなく偽善的でも感情的でもなく理性的に哲学的に。
    ギルマンは真面目で誠実で聡明で
    審判の日を信じなくなったとしてもその精神は息づいている。
    私は仏教の哲学性や禅の精神性に心惹かれ
    キリスト教やイスラム教の有用性に憧れを抱いているのかもしれない。
    砂漠で生きる者の目には水は鮮烈に映るのかもしれない。

    一人で生きる勇気 (集英社文庫)一人で生きる勇気 (集英社文庫)
    ドロシー・ギルマン 柳沢 由実子

    集英社 2007-03-20
    売り上げランキング : 480699

    Amazonで詳しく見る
    by G-Tools



    ギルマンはこのエッセイを自分の事の本ではなく、
    「発見」についての本だと語っている。
    ギルマンの精緻な眼差しは今から30年以上前(ギルマン50代)のものなのだけれど、
    彼女が立ち向かった数々の問題は今も私達を悩ませている。

    以下に心惹かれたフレーズ(つまり説教)をいくつか抜粋しておきます。
    このメモは、勿論自分自身のためのメモではあるのだけれど
    誰かの「発見」のためにも役だっていたら嬉しい。

    ***************************


    思うに女性は昔から従順さ仕込まれてきたがゆえに、
    いっそう疑り深くなっているのではないか。
    生来直観的で、なんにせよ男性より控えめでいるように育てられているから、
    言葉で言われなくても、なんにせよわたしたちは
    すべきこととすべきでないこと、
    あるべき姿を教えるシグナルを目ざとく見つける。
    幼い時から人を喜ばせる術を身につける。
    魅力的であること、
    期待通りに適切な表現をすることを学ぶ。
    そして不正を受け入れる。



    正直な自分で居るために、何よりも大切なのはまず自尊心だ。
    それと自主性である。
    自主性とは自分を治めること。他から干渉を受けず、自分の心に正直に。
    自尊心が無いと簡単に魂が略奪された者になってしまう。
    一緒に暮らしている者を通して生きるのだ。
    自分自身を考えずに、自分の考えに基づいて行動せずに、
    自分で冷酷な現実に立ち向かう判断を下さずに。
    生きることはすなわち隠すこと、取り繕うこと、反応すること、
    行動するのではなく、ただ適応することになってしまう。



    おかしなことに、辞書によれば「空(から)」の定義に
    『保有しているものや囲んでいるもののない状態』とある。
    そして「自由」の定義には、
    『縛られないこと、閉じ込められないこと、強制的に引き止められないこと』とあった。
    この二つの言葉の違いはほんのわずかである。
    人が毎日数分進む時計に慣れるように、心を少し整理すればいいのだ。
    心は新しい言語を学ぶ。



    時間というものは、本来わたし達の頭の中にしかないからだ。
    その存在は信じたくて堪らない幻想と言っていい。
    時計もカレンダーも人間が作ったものだ。
    一日の時間を決めたのも人間なら、ひと月の週数を決め、一年を十二で割ったのも人間だ。
    まったく見事で役立つ便利なものだが、
    わたしたちが時間と呼ぶものは、人間が枠をつくる前からあったのだ。

    時間は未だ解けていない謎なのである。

    時間は永遠なものと人は考えるが、永遠は何かを知っている者はいない。
    わたしたちは時間の中に生きているが、時間に触ることが出来ない。
    わたしたちは時間を占有しているが、所有することは出来ない。

    本当の神秘は
    わたしたちが時間を量的に経験しようと、質的に経験しようと、
    時間はまったく変わらない。
    変わるのはわたしたちだということだ。
    色々な出来事で揺さぶられ、認識に到らされる。理解に到らされるのだ。
    決まり切った手順、習慣、自己満足、そして偏った思考に揺さぶりをかけられるのだ。
    ある意味では、時間に揺さぶりを掛けられて、
    今を生きて行くこと、大きく目を開き、自覚することを認識させられるのかもしれない。

    わたしたちはぼんやり時を過ごし、目を明日に向けているが
    わたしたちがいるのは今なのだ。
    可能性に打ち震えているのは今なのだ。未来ではない。
    未来はどこか別のところにあり、まだここに到着していないのだ。
    わたしたちが真に躍動するのは、瞬間に入り込み、意識を全開にしてその瞬間を生きる時である。



    プライバシーが欲しいというのは
    人の付き合いや面倒なことに巻き込まれるのを避けるための格好の口実になっているのではないか。
    プライバシーを極端な程尊重すれば、
    わたしたちは人に優しくする無限の可能性を失ってしまうのではないか。






    読書家であろうギルマンは沢山の本からその精神を引用をしている。
    それぞれ彼女の解釈を説明してあるのだけれど
    その中でも気になった一文だけ書いておきます。

    「死ぬということは、人生に最後に目を閉じることではない。あまりにも少ない次元の中で生きることを選ぶことである」~J・B・プリーストリー

    「傷つきやすい、それが生きると言うことだ。
     退却するのは死ぬことと同じことである」~クリシュナムルティ





    拍手[0回]

    人が好きですか?それとも嫌いですか?
    とても当たり前のことが書いてあるだけだけれど
    哲学者が書いているのでメンヘル本というより学術書の類。
    私なりに簡単に纏めておきましたので興味が沸いた方は著者の本をオススメします。




    人を嫌うということ

    人を好きになるというのは自然で非合理的なのは体験として知っていると思う。
    それと同様に、人を嫌うという感情も自然で恐ろしく理不尽だ。

    人間は人から嫌われたくない生き物だ。
    自分が嫌っている人からでさえも嫌われたくないと言う不平等な思いを抱いている。
    現代日本において「嫌う」という感情はタブー視されていて
    嫌われていないという自覚を持たないと無性に不安であり自己点検に余念がない。
    また嫌われていると自覚した瞬間パニック状態になる。


    嫌いの原因は、
    「反社会的なもの」「解消されなければならないもの」と了解されている
    その原因に罪=責任 を押しつけることによりその呪いから解放される。一種の復讐だ。

    嫌い原因のを探る時、その思考は自己正当化のプロセスを経ている。つまり

    ・嫌いという感情が発生
      ↓
    ・動機をマイナスの意味に転じて原因化(例 清廉潔白→馬鹿正直 と置き換える)
      ↓
    ・相手に罪をなするつける
      ↓
    ・その原因が自分に嫌いを引き起こしたと再構成する
      ↓
    ・人を嫌うという不快感から解放される
      ↓
    ・自己正当化が完了し、相手を嫌うのを当然と思える。

    自己催眠状態となり、原因は関係なく「嫌いだから嫌い」という状態を同じとなる。
    その原因は自己正当化プロセスを経ているので他人からの承認を求め
    更なる不安解消・自責の念からの解放と第三者への罪のなすりつけが行われる。


    「嫌い」の8つの原因

    1 相手が自分の期待に応えてくれないこと
    2 相手が現在あるいは自分の将来に危害(損失)を加える恐れがあること
    3 相手に対する嫉妬
    4 相手に対する軽蔑
    5 相手が自分を「軽蔑」している感じがすること
    6 相手が自分を「嫌っている」感じがすること
    7 相手に対する絶対的無関心
    8 相手に対する生理的・観念的な拒絶反応

    ほとんどの場合において1が基盤となり発展し8をもって完成となる。
    嫌いの原因を探ることは、自己反省・自己批判に繋がり人生に面白みが増す。




    自己嫌悪
    全ての自覚された他人嫌悪には自己嫌悪が纏わりついている。言い換えるなら
    自覚された自己嫌悪には無自覚な他人嫌悪が纏わりついている。

    タイプ1
    「身体的特性嫌悪」「性格特性嫌悪」という具体的特性に対する嫌悪は誰にでもあるが、それらが崩壊もしくは融合すると
    自分自身に対する「生理的・観念的な拒絶反応」となる。
    成熟するとそれらは「自己肯定」へと移行するがそう出来る人がすべてでは無い。
    原因1と同じく「自分自身が自分の期待に応えてくれない」ことにいら立つ。
    自我理想が極端に高い場合、自分が何をしても自分の成果に満足できないという状態になってしまう。
    親の期待を一身に受けて育った子に多く、期待に応えられなくなると自罰的になり自らを嫌い直観的に親を嫌う。それらを自覚した後も蓄積された「自分はダメだ」という価値観を変えることは難しい。

    タイプ2
    「人を嫌ってはならない」
    「他人を責めてはならない」
    「傷つけてはならない」 
    という絶対的価値観を親に因って植えつけられた子に多い。
    他人との対立自体を恐れ、他人と対立すると自分が悪いという自罰的な思想に流れる。

    タイプ3
    「人間嫌い」という形の自覚が限りなくゼロに近い自己嫌悪

    自己嫌悪には自己を防衛するために自己愛が纏わりついていもいる。
    自己防衛的自己愛とは
    他人を恐れて愛する事が出来ない人が、反射的に地球上で唯一安全な自分を愛すると言う痛々しい構図でありそういう自分に満足していない現状がある。
    つまり自分は傷つきたくないという感情が肥大化している状態である。



    結局、どう努力したところで、「嫌い」を抹消する事が出来ない。
    ひとを好きになるということ同様、ひとを嫌うことの理不尽な自然性を認識し向き合う必要がある。
    日常的な「嫌い」を認識し追求する事により
    日常におけるかなりに心痛から解放されるのではないだろうか?






    ↓↓よろしければランキングにポチ願います♪

    にほんブログ村 演劇ブログ 劇団四季へ
    にほんブログ村

    拍手[1回]

    Script:Ninja Blog 
    Design by:タイムカプセル
    忍者ブログ [PR]